Anou

東京で働く40代男性のひとりごと。

【考察】なぜGundam GQuuuuuuXは面白いのか?第4話「魔女の戦争」

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ついに、映画版(Beginning)で上映されたパートに続く内容がオンエアになりました。個人的に感じた「なぜ、こんなにもジークアクスは面白いのか?」というポイントをつらつらと綴ります。まずは第4話!

*この記事は放送された内容を含みます!ネタバレありです!

*画像は機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) 公式サイトより引用しています

 

 

 

ジークアクスにおける「戦争描写」

 

 

直近のガンダム作品である「水星の魔女」では、ガンダムシリーズでありながら、物語の中盤まで、主要登場人物が相手パイロットを殺めることはありませんでした。そして最後まで、殺人は忌避される行為として扱われていたように思います。

それは「新規層、特に若手の視聴者を取り込む目的」と、「海外展開を考えた上での配慮」と言う、制作上の前提必要条件が伺えました。「古参ファンとしては、物足りない」という思いと、「結果的に若年層の取り込みに成功したので正解だった」と言う感想が入り混じっています、私的には。

 

 

しかし、「機動戦士ガンダム」と言うタイトルを扱う以上、「戦争」と言う題材は切っては切り離せません。つまり「人の生死」は物語の構造上、避けられない要素となる訳です。

 

 

では、ジークアクスは「戦争描写」に対して、どの角度から取り組もうとしているのか?映画版(Beginning)では、「クランバトル」なる戦闘システムが開示されました。これは、非合法ながら「相手の頭部を破壊することで勝負を決する」という健全(?)な勝敗決定が下される戦闘形態でした。よって映画版の内容(第3話)までにおいては、主要キャラクターたちが「相手のパイロットを殺めるということは無さそう」=「水星の魔女と同じく、決闘方式の平和な物語進行になるのでは」と言う想像が順当だった訳です。

 

 

しかし、第4話「魔女の戦争」でのシイコは、賭け事としてのゲームではなく「戦争時に生まれてしまった執着」を解消することを目指し、「殺し合いをするために」赤いガンダムへと向かいます。大きな殺意を受けたシュウジは、彼女の猛攻を振り切り、シイコの駆るゲルググコクピットビームサーベルで貫きます。仮に、シュウジゲルググの頭を落としたとしても、返す刀でシイコはシュウジの赤いガンダムに反撃したでしょう。シュウジが突き立てたビームサーベルの動きからは、迷いは感じられずとも、相手への敬意へのような感情が混ざっていたように感じられました。「モビルスーツの頭を落とせば勝利」と言うクランバトルの勝利条件は、ただの前振りでしかなかったのです。殺し合いのエピソードであり、第1話のアンキーの台詞にもあったように、「戦争が終わっても、スペースノイドに自由は無い。」という描写が繰り返されることになった訳です。(むしろ、本エピソードによって、アンキーの台詞には物理的な不自由と精神的な不自由という、複数の側面があることが裏打ちされました。)

鶴巻組は本話で、「ジークアクスで正統派のガンダムをやるつもりです。」という、はっきりとした意思表示を行った訳です。始まったな…。

 

 

あの人には、待ってる家族がいたのに。でも、そこまで踏み込まなきゃ、シュウジのいる場所には届かないんだ。

(アマテ・ユズリハ 第4話より)

 

そしてラストのマチュのセリフ。これは重要な分岐点を暗示していると予想されます。結論から言うと、近いエピソードで、マチュが能動的に人を殺すアクションを起こす可能性が大、だと考えられます。

 

「お母さんのような普通は嫌だ」→「シュウジはよくわかんないけど、なんかすごい!」→「シュウジや魔女(シイコ)は、言葉にする前にわかっちゃう人たちなんだ。」→「私も追いつきたい!踏み込みたい!(=人を殺してもしょうがない)」という、若者の哀しい程に間違った勢いの良さを感じさせるセリフ。不良に憧れて暴走族に入る若者が可愛く思えてしまうような、マチュの暴走っぷりが凄い。

 

 

歴代のガンダム主人公たちのように、「守りたい人がいる」といったような動機ではなく、自らの未熟さが生む閉塞感を打破するためにガンダムに乗る彼女に、ハッピーエンドが用意されているとは考えにくいでしょう。悲劇自体は、間違いなく正統派ガンダムの流れですが、現時点で我々視聴者が想像もし得ないダークサイドのストーリーが展開される可能性が大、ということでもあります。竹さんによる可愛らしいキャラクター造形であるにも関わらず、苦痛に歪む表情がこんなにも表現されるアニメになるとは。この先、良いガンダムが見られる匂いがプンプンします。(錯乱)

 

 

 

 

 

シイコ・スガイとは何者か

 

エスカレーター脇の広告が持つ意味

 

第4話はシイコ回でした。異論は認めません。このキャラクターについて考察する上で重要なのが、改札を挟んでマチュとシイコが会話をするシーン。

 

 

何かを手に入れるために、何かを諦めなきゃいけないなんて、そんなの理不尽じゃない?望むもの全てを手にすることができたら、どんなに幸せか。

(シイコ・スガイ 第4話より)

 

彼女が語る際の背景には、エスカレーター脇に3つの広告が掲示されています。左は健康的な男性がフィットネスをアピールする広告、真ん中には美女が映る化粧品の広告、そして右端には学生服の若い女性が青空を背景に走る広告。

 

 

右端のタイ語?はよくわからないのですが、おそらく、左から「健康」「女性美」「若さ」という要素を表現していると考えられます。これらは、シイコが戦争によって手に入れられなかったものを暗示していると考えられます。

現在のシイコは一見、優しい旦那と幼子に恵まれ、幸せであるかのように描写されています。しかし、戦争で青春を失い、ニュータイプの才能があったであろうマヴ(おそらく恋人)を失った彼女の喪失感はいまだに消えておらず、大きな理不尽を抱えたまま生きています。諦めなければいけないことは、頭ではわかっている。それでも、彼女の喪失を産んだきっかけである赤いガンダムが現れてしまったとなれば、戦わずにはいられない。戦争を憎む彼女が、誰よりも戦争に囚われてしまっているという残酷さを表現したシーンでした。

 

 

 

改札という演出

 

 

本話で、「改札」がジークアクスで重要な舞台要素になることがわかりました。第1話では「マチュとニャアンの出会いの場」として登場。第4話では「オールドタイプとニュータイプの狭間」あるいは「人を殺す側と殺さない側」としての描写が見て取れました。

 

 

米津玄師によるオープニング「Plazma」の冒頭の歌詞にも登場していることから、「改札」は間違いなく重要な要素だと思われます。(米津さんは歌詞を作成するにあたり、プロットを見ているそうです。もしかすると、Zガンダムのオマージュかも知れませんが。)電車で登場人物たちの精神世界を表現したエヴァの雰囲気を感じずにはいられません。1カットでしたが、マチュは未だ「こちら側」にいる描写があったのが不穏でした。

 

 

 

キャラクター造形

 

 

気弱そうな風貌で現れたシイコ・スガイ。「1年戦争時における連邦側のスーパーエース+人妻+子持ち+童顔美女(?)」と言う、これまでありそうでなかった、属性モリモリ強めバリカタのキャラクターです。snsでの盛り上がりを見るに、こうしたキャラクターの構成要素の巧みさは、鶴巻組ならではでしょうか。ありがとうございます。

 

 

戦争に負けても、私は負けてない。

(シイコ・スガイ 第4話より)

 

戦争は、平時は狂気。それを如実に現す台詞でした。若いバイトさんの様子に目を細めた後に、このようなことを言ってのける精神性が恐ろしい。とはいえ、生来の性質ではなく、戦争によって歪められてしまった思考であることも伺えます。

 

 

この世界は結局理不尽で、望むもの全てを手に入れる、選ばれた人なんていない。そう納得して、普通の生き方を受け入れた。それなのに。

赤いガンダムパイロット!お前が選ばれたやつじゃないと、証明してやる!そうすれば!私は!!

私のために死んで!ニュータイプ!!

(シイコ・スガイ 第4話より)

 

シイコにとって、現在の普通の生き方は「自分が選んだもの」ではなく、「仕方がなく受け入れたもの」でした。

魔女ともてはやされようが、戦争には負けてしまい、時代に選ばれることはなかったシイコ。戦争が終わっても胸の中に存在する鬱屈とした感情を消し去るために、再び現れた赤いガンダムを葬ると決めたシイコ。そうすれば、私は変わることができる…と。彼女の心はまだ、戦争の中に、モビルスーツでの戦いの中に残っているのです。シュウジビームサーベルをゆっくりと突き立てたのは、そうしたシイコの哀しみを知ってのことだったのかも知れません。

 

 

snsの一部では、シイコは強化人間ではないか?という説が見られます。彼女の現在の居住地がその所以だそうです。なるほど。また、その場合シイコは子供はおらず、結婚もしていない、、、という悲しいバックボーンがある、という想像も成立するとか。強化人間らしくて良いですね(錯乱)。ガンダムの王道的キャラ設定で、かなり悲劇的な想像なので好ましくはあるのですが、私はそれは無さそうかな、と考えています。

 

シイコ役の塙 真奈美さんは龍の歯医者にも出演されていたそうですが、演技の幅が広い声優さんという印象です。平時のシイコ、戦闘時のシイコの演じ分けは圧巻でした。すごい。単話出演とは思えないインパクトを残されたと思います。

 

 

 

瞳の中の光

 

 

今回、明確になった演出がもうひとつ、ありました。「戦争に囚われた人物には目のハイライトが無い」という描写です。

物語のラストで、坊やのことを思い出したシイコの瞳の中に光が宿ります。シュウジの真意に触れたことがきっかけですが、それはおそらく、「家族に会いたい」といったような思いだったのだと考えられます。だからこそ、シイコも同様に、最後に愛する子供のことを思い出したのでしょう。

その視界の中に、旦那がいなかったことと、第4話では終始、彼女の旦那の顔が描写されなかったことは、重要な演出の一つと思われます。カムランさんといい、毎週毎週、報われない男性キャラが出るのがジークアクスなんですかね?また、この描写からは、彼女が強化人間であることが否定される要素も伺えます。多分、ですけど。

 

 

話を戻して、「瞳に光があるか無いか」という観点で行くと、シャリアブルには明確に瞳の光がない描写がなされているんですよね。物語の終盤で、彼も光を取り戻すことができるのかどうか、というのは大きなポイントになるのかも知れません。

また、現在は瞳に光がある描写のマチュについては、物語の中盤で光を無くす描写がある可能性も大です。アムロもかつて、白目になったことがありましたね。

 

単話での登場とは思えない程に強烈な印象を残したシイコの言動に、心を掴まれた視聴者が多かったのでしょう。悲しいですが、これぞガンダム

 

 

 

第4話の見どころ

 

立体機動を駆使するゲルググ

 

 

な、、、何を言っているかわからないと思うが、、、というやつですね。

映画版(Beginning)の公開期間後半で、テレビシリーズの特報版が上映されました。そこで最も驚いたのは「演出 荒木哲郎」と言う情報。荒木氏と言えば、ギルティクラウン進撃の巨人甲鉄城のカバネリなど名作の監督を歴任した大ベテラン。アクションの派手さ、壮麗さが特筆されることの多いクリエイターです。特に、「進撃の巨人」のテレビシリーズにおいては、「立体機動」と呼ばれるアクションをアニメならではの高クオリティ映像として実現させ、世界的に高い評価も得ています。アニメを初めて見た時は、こんな映像が見られるのか、と度肝を抜かれたものです。そしてまさか、ガンダムで立体機動を見せつけられるとは予想していませんでした。

 

 

 

 

スティグマ(聖痕)

 

 

オタクが喜びそうな必殺技(次回予告でニャアンに突っ込まれていたのはコレでしたか)を用いて、現時点で最強のランクであろう赤いガンダムを追い詰めていく人妻(シイコ)の狂気は、最高にガンダムらしいエピソードでした。

ガンダニウム合金って、そんなに柔らかいっけ?と言う疑問が頭を掠めますが、そんな細かいことはいいんです。直接的にワイヤーを描く描写は少ないですが、ゲルググの特徴的な動きを立体的にわかりやすく表現していたことで、一種の快感すら感じられる映像演出になっていた点は、さすがの荒木氏(監督と言いたくなる)。ヘッドホンで大音量で聴いてみると、ワイヤーがキリキリと音を立てたり、シイコの乗るゲルググが駆動系の異常を知らせるアラームが鳴り続くなど、音による演出も豪華でしたね。SEは進撃の巨人から流用していたりするんでしょうか?

 

 

 

ファーストガンダムの演出

 

 

ジークアクスでは、多数の「ファーストガンダムへのリスペクト」が伺えます。今回は「シイコの置きビーム」、「戦闘中のカットイン」、「戦闘終了直後の反省会」と言う3つの要素でした。これは明確なファンサですね、ありがとうございます。

 

 

 

変態アムロのテクニックをオマージュ

 

 

シイコは赤いガンダムに対して、置きビームや2連置きビームを披露するなど、逆襲のシャアにおけるアムロの置きバズーカを彷彿とさせる技を披露します。激しいアクションの中で、よく見るとゲルググの腰の後ろにはちゃんとビームライフルが装備されているんですよね。芸が細かい。ただし結果的に、それらを全てかわしてしまうシュウジスペシャルぶりが顕になることに。何なのこの子。

 

 

 

戦闘中のカットイン

 

 

懐かしいですね。古参ファンとしては、つい頬が緩んでしまいます。ファーストガンダムで多用された富野氏の演出方法であり、Z以降では減ってしまっていた気がします。劇画的な手法ですが、画面がリッチに見える上に、説明的でわかりやすいという構成。ここぞ!というシーンで使用すると印象的で良いですよね、個人的には大好きなカットです。

イマジナリーラインとしてもよくできており、「曲芸的に回避するシュウジ」、「必死にとどめを刺そうとGに耐えるシイコ」、「二人の戦いを見上げるしかないマチュ」と言う構成。1カットで第4話後半パートの3人を端的に表現しています。

 

 

 

戦闘終了直後の反省会

 

 

ガンダムの伝統的な描写です。撃墜王と同義の言葉として残ってしまうニュータイプですが、本来は「人とわかりあう能力の高い人間」を指すことを意味しています(諸説あります)。

ニュータイプの存在を否定していたシイコは、その能力に恵まれながらも、1年戦争の中では、ニュータイプの領域に到達することができませんでした。しかし、クランバトルで激しく渡り合ったシュウジによって、その領域まで辿り着くシイコ。キラキラという思念の海の中で、互いの真意を共有しつつも、彼女は爆散してしまいます。

かつて、アムロ、シャア、ララァがコミュニケーションしていた思念の海を明確になぞる表現を取り入れています。この描写からも、ジークアクスがファーストガンダムを強く意識して制作していることが伺えます。

 

 

 

 

まとめ

 

私なりに感じた「第4話の面白かったポイント」について書いてみましたが、いかがだったでしょうか?

 

ジークアクスにおける戦争描写の方向性

・シイコを通して描かれた「戦争に囚われた人間の哀しさ」

・演出としての「改札」と「瞳の中の光」

ファーストガンダムへのオマージュ

 

こうして振り返ってみると、たった1話の中に、よくこれだけ盛り込んだものだな、と呆れる程に感心します。しかも本記事では触れていないポイントも、まだまだ盛り沢山。「戻れなくなるぞ!」とか「プレッシャー」、「ニュータイプは人を殺しすぎた」などなど、ガンダムオタクとしては喜ばざるを得ない台詞のオンパレードでした。こんなに嬉しいことはない!

 

 

視聴中に「お前?!ゲルググっていうのか?!!その顔で??!!」と、叫んだ人は、日本で数万人は存在すると思っています。(新作プラモデルが買えなくて悲しい。)

あとは「それ、ララ音っていうんだ、、、?!!」ですかね。パッと聞いて理解できますけれども、何というか、へーそうだったんだ。

 

次回の第5話では、陰の民だと思っていたニャアンがキラキラするそうです。彼女もモビルスーツに乗ってしまうのでしょうか。とんでもなく良い人だと思っていたエグザベ君は、マチュをロッカーに連れ込んでしまうようですし、もう、どうなることやら。

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

 

コメントで「文字間違ってるよ!」とか「私はこう考察したよ!」と入れてくださると嬉しいです!(陰の民なのでレスは早くありませんが)

 

 

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