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東京で働くバツイチ40代男性のひとり暮らし(たまにふたり)とかいろいろ。

【機動戦士ガンダム 水星の魔女】 第24話「目一杯の祝福を君に」感想と考察

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ついに完結しました。完結してしまいました、水星の魔女第24話。みなさんは何回、泣いたでしょうか?私は3回泣きました。20話辺りでは「完結できるの?!」と思っていましたが、さすがの大河内さん(脚本)。視聴者が見たかったものを、ほぼ全て詰め込んでくれたと思えるエピソード。最終話放送からだいぶ空いてしまいましたが、「ぼんやり考察の締めくくり」としてまとめます。

©︎創通・サンライズMBS

-目次-

 

 

ココが泣けたよ最終話

©︎創通・サンライズMBS

主人公、スレッタ・マーキュリー

エラン4号との再会

自分の命を削りながら、必死にスコアを上げるスレッタ。これだけでもう、胸にこみあげるものがありますが、なんと彼女が到達したのはスコア8よりも上。未知の領域。意識が飛びそうなスレッタに「また、困ってる?」という声をかけたのはエラン4号でした。(5号との演じ分け、、、花江さんは演技力が素晴らし過ぎる)オルカノイドアーカイブ?便利だなそれ?!と、一瞬思いましたが、そんな細かいことはいいんです。彼もまた、スレッタとの会話を覚えていてくれました。生身同士で触れ合うことができず、あくまでキャリバーンの手を通して、ではありましたが、再び、エラン4号と手を取り合うスレッタ。自分と決闘をしたためにエラン4号を死に追いやったことを詫びるスレッタ。そしてエラン4号は、約束した待ち合わせ場所に行けなかったことを詫びます。何これ泣ける。先の記事で、エランシリーズは「スレッタの成長に欠かせない重要な役割を負っている」と分析しましたが、エランシリーズもまた、スレッタによって成長していたのかも知れません。ほんと泣ける。最終話で、こうしてふたりの逢瀬が叶うとは想像していませんでした。OPの伏線はこれだったのですね、、、。ありがとう、オルカノイド・アーカイブ。号泣でした。

23話でエリィがミオリネたちに手をかけようとした瞬間、クワイエットゼロがデータストームを停止、スレッタたちを救うという謎の現象がありました。驚くエリクトの視線の先はエアリアルではなく、クワイエットゼロ?もしくはクワイエットゼロの上部空間?を見るような視線。ここがとても不思議に感じられていました。が、これはエラン4号を始めとした「データストームの中にいる人たち」の手によるものだったようです。明言はされていませんが。

 

 

 

親離れ

自らの身体が「データストーム汚染によって動かなくなり始めていること」を告白するプロスペラ。第8話でプロスペラが「自身の体の不自由さ」を盾にスレッタを言いくるめた際と同じ話法ですね。しかし母の呪縛から覚醒したスレッタは、流されることなく、自らの意志で反論、そして行動(パーメットスコアのさらなる向上)を起こします。23話の「お母さんを抱きしめてあげたい」というセリフから一貫して「母親への愛」を貫くスレッタ。泣ける。24話ではさらに「お母さんを肯定します」という発言もありました。これはもう、ほぼ碇シンジさんじゃないですか。良かったな、ゲンドウ。じゃない、プロスペラ母さん。なんでこんなに良い娘が育ったんだ、、、。水星の魔女で描かれたスレッタの成長劇、ここに極まれり。号泣です。

 

 

 

 

みんなを守る

水星の魔女のラストを見て「これはユニコーンのラストそのままだな、、、」と感じた人は多いでしょう。「圧倒的多数の正義と分類される陣営と争うために、敵対勢力が宇宙と地球を含むネットワークを駆使して反旗を翻す演説を行う」と言う展開はミネバのそれと同じでした。ですが、細かいことはいいんですよ。ミオリネとスレッタがハッピーエンドなら満点です。そう思えるような素晴らしいラストでした。これが見たかったんですよ、これが。という完璧なラスト。ちなみに「スレッタだけが、エリクトをスコア8より上に到達させることができた」というプロスペラのセリフは、考察しがいがありそうですね。

 

 

 


水星の魔女、プロスペラ・マーキュリー

エリクトのために

無くした娘を甦らせるため、これまで多くの罪を犯してきたプロスペラ。最終話で「報い」を受けるのだろうと予想していました。ですが、大河内脚本は意外にもプロスペラに幸せなラストを用意していました。

「かつて助けられなかったエリクトを、再び抱きしめることができる」

「自分が切り捨てたはずの娘(スレッタ))に、正面から愛される」

自分を肯定してくれるスレッタに対して「あなたに何が分かるの」と小さい声で呟きましたが、本編中で本音らしい本音を漏らさなかったプロスペラの、数少ない「恨み節」でした。「怒る」という感情の裏側にあるのは「甘え=期待」だと言われます。つまりこのセリフは、「プロスペラからスレッタへの甘え=本心のコミュニケーションの一端」であったと思われます。家族にしか見せないコミュニケーションですね。そして逆説的に、「プロスペラがもう、スレッタをコントロールすることができなくなった」と言う親離れを描いたシーンでもありました。

娘たちに愛され、救済されるプロスペラ。夫や恩師の思念体との会話を経て、平穏を手に入れる展開は本当に意外でした。ソフィの件など、復讐の連鎖を断ち切ることが出来ない点が強調されてきた本作において、非常に重要なシーンになったと思います。ただ気になった点がひとつ。プロスペラがエリクトを抱きしめるシーンで、エリクトはプロスペラを抱きしめてはいません(棒立ち)。これはエリクトの複雑な感情を表しているのか、あるいは実体としては現実と交われないエリクトの限界を示していたのか?手放しで喜べない部分がある気もしました。

 

 

 

 

エピローグ

思い返せば、プロスペラが動きのあるシーンで仮面を外す場面は無かったですね。プロスペラの大望が「デリングへの復讐」でも「オックスアースへの復讐」でもなく、「エリクトが生きる世界の構築」であったことが明確に描写された最終話。だからこそプロスペラには、娘たちの愛情、福音がもたらされたのかもしれません。ラストカットで車いすに座っていたプロスペラは、眠っているだけなのか、すでに光を失ったのか。車いすの手元には、電動レバーのようなコントローラーが無い仕様だったので、もしかすると既に四肢の自由が利かない、、、?!とも想像すると「生きながらに罪を背負っているということ」の表現だったのかも知れません。髪の毛の色がほとんど白髪だったのは、彼女の命の残り時間を示すのかな、とも。胸につけたウサギのワッペンは、エリクトが背負っていたカバン+ヘルメットのウサギがモチーフでしょうか。芸が細かいですね。

 

 

 

 

6月以降はなんだか忙しく、blogを更新する頻度がすっかり落ちてしまっています。書きたいことはあるのですが、何とも。そんな中でも定期的なアクセスはあるので(多くはないのですが)、読んでくださる方がいらっしゃることに感謝。また時間を作って記事を書きたいなと思いつつ、暑すぎる毎日にへばっています。皆様も夏バテにお気をつけて過ごされてください。ご覧いただいてありがとうございました。(blogの閉鎖ではないです)