上野の国立西洋美術館で開催されている、「自然と人のダイアローグ」展を観に行ってきました。その7。このシリーズ記事は、これでラストです。
-目次-
- ジャン=フランソワ・ミレー「春(ダフニスとクロエ)」
- クロード・モネ「黄色いアイリス」
- カミーユ・ピサロ「収穫」
- エドヴァル・ムンク「眼鏡をかけた自画像」*ほか
- クロード・モネ「睡蓮、柳の反映」
- フィンセント・ファン・ゴッホ「ばら」
- クロード・モネ「睡蓮」
ジャン=フランソワ・ミレー「春(ダフニスとクロエ)」
クロード・モネ「黄色いアイリス」
私は常々、縦長構図であるというだけで、「日本絵画の影響が、、、」とする解説には、若干の違和感を覚えています。ですが、こちらの作品は根津美術館にコレクションされている、尾形光琳「燕子花図(かきつばたず)」を想起しました。
(画像は公式サイトより)
主題となる植物への眼差し、距離感といったところに何か通ずるものがあるのかな、と。日本の浮世絵と、それに影響を受けた西洋作品を並べて掲示する展示があると面白いと思うのですが、すでにどこかでやっているのでしょうか?
カミーユ・ピサロ「収穫」
何気なく見過ごしてしまいそうな作品ですが、解説を読むと、とても納得できました。ご興味がある方はぜひ。↓
エドヴァル・ムンク「眼鏡をかけた自画像」*ほか
この展示でムンク作品を見られるとは思いませんでした。公開されたことが多くはない、レア作品のようです。素描って良いですよね。見られて良かった。
クロード・モネ「睡蓮、柳の反映」
今回、最も衝撃を受けた作品。詳細は以下の記事が詳しいです。通常はこうした状態の作品は展示しないのでは、と思いましたが、現状も含めた作品の様子が、時間の経過、この作品の数奇な運命を現しているようでした。
相当、劣悪な環境で時間を経過してしまったことが伺えます。普段、美術館で見ている作品が適切な保存のケアを受けているのだな、とも。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ばら」
亡くなる前年、サン=レミの精神療養院に咲くばらを描いたものだそうです。絵に宿された躍動感、生命力の凄まじさ。しかし少し距離を置いて眺めると、観るものの心をなだめるような優しさも感じられます。これは本当に美しい作品でした。
クロード・モネ「睡蓮」
もはや1-2年に1回は見ないと気が済まなくなって来た感のある「睡蓮」。モネが晩年にその心血を注いだモチーフです。本展の「1.空を流れる時間」で展示されていた「舟遊び」が1887年作。こちらの「睡蓮」は1916年作。実に30年近くの時間が経過しているわけで、そうした流れも踏まえると、より一層味わいが深い気がしました。そして、そのどちらも所蔵している国立西洋美術館の凄まじさ、、、。
本展は「自然と人のダイアローグ」というテーマでしたが、時節柄、「美術と戦争」という裏テーマを想像してしまいました。いくつかのリンクを付けましたが、国立西洋美術館の所蔵作品の詳細ページには、いつフランスから戻ってきたか、という情報が細かく記載されています。当時の日本はいわゆる「敗戦国」ですので、こうした美術作品を取り戻すために奔走した、名もなき人々の努力を想像すると、尊敬の念でいっぱいです。テロの攻撃の標的となってしまい、形を失った歴史遺産をニュースで見たり、現在進行形で戦争が起こっているエリアで失われてしまっているであろう暮らしや建築などの芸術作品を想うと、人の業の深さを思わずにはいられません。
ともあれ、流れが分かりやすく、誰もが知る巨匠の作品が目白押しの素晴らしい展示でした。本記事をきっかけに、興味を持って展示を訪れてくださる方が一人でもいらっしゃったら、嬉しいです。実物に触れる素晴らしさにかなう体験は、ないと思います。
シリーズを通してご覧いただいた方、この記事をふらりとご覧いただいた方、皆さまありがとうございました。
camera:sony α7Ⅳ
lens:sony SEL24F14GM
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